未必の故意

@kazinoriのネタ帳。

1月 28

「皆さんはどう思われますか?」


「難しい問題ですね」


「これからも考えていかなければなりませんね」


 意味があるようで、全く意味のない言葉。リスナーとトークパーソナリティの議論を整理しつつ番組を進めていく上で、私はその類の言葉は使いませんでした。典型的な耳障りのいい文句は必要ない。なぜなら、普段の会話にそんなフレーズは登場しないからです。言いませんよね? 友だちと話をしていて「それはずっと私たちが考えていかなきゃいけない問題だよね」なんて(笑)。


 でも、それらの「どうでもいい」言葉を持ち出さないと、混沌としたまま番組が終わることもある。「で、結局どういう結論だったの?」とか、「何も解決してないじゃん」「何のための話だったの?」という印象を与えてしまうこともあります。多分そういうことは『アクセス』ではしょっちゅうあったと思います。


 でも、「どうでもいい」言葉でまとめるより、そのほうがずっと「いい」んです。何かモヤモヤした感じとか、後味の悪いものであっても、何かしらの痕跡を人の心に残すのが番組。「聴いたという痕跡」を、ほんの少しでも心に残さなければ、放送の意味なんてありません。結論が導き出されない議論を聴いて、わけの分からない不快感や、消化不良なものを感じた人が、「なんだよこんな気持ち悪さを置き土産にしやがって、これはきっと喋ってた奴らの押しつけに違いない」と思ってこちらを攻撃してきたとしても、それは仕方がない。誰からも嫌われたくないんだったら、害のない、意味のない言葉を言えばいいんでしょうが、放送は「私が誰からも嫌われないため」にやっているんじゃないのですから。触りのいい、ただ感じのいい言葉を並べて、丸く優しくなめらかな印象を与えてはい終わり、というのは、安全なことなのかもしれませんが、少なくとも放送上においては、無難であるという意味での安全は最優先されるものじゃない。安全も、きれいも、いらないんです。

少しだけ、小島慶子さんの話をします。 - 琥珀色の戯言 (via carbondoubt)

(mmqqbbから)


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